ここ何カ月か、ずっと美樹のことを思っては悲しくなり、いつか「戻ってきてくれないか」とばかりに過去の話しを延々と繰り返してきた。
いまも美樹に会いたい気持ちに変わりはないけれど、思えば思うほどもう会えないという事実に向き合うことになる。
とくにここ二、三日は、美樹の幻影を追いつつももうそれは遠くはるか向こうにしかないんだな、と思うようになった。
40年前に美樹と会って毎日のように一緒にいたことは、全て思い出。
前々から申し込んでいて待機リストに入っていたアルバイトを始めたのが、1985年の2月6日。すでに働いていた友人から雇用元の状況を聞いていて、この1週間だか3日前くらいから、「今度こういうアルバイトをすることになると思う」という話しを美樹にしていた。
「このアルバイトを始めると、月金で朝から夕方までのフルタイムだから、今までのようには会えなくなるよ」という話しをした記憶がある。
で、働きだす直前に、美樹の依頼した弁護士から速達が届き、急に別れることになったはず。ここら辺の記憶はあまりない。
働きだして1週間、やっときた休日に美樹の部屋に行くも、会えなかったような記憶がある。 その休日は美樹の誕生日である2月11日だったはず。
あぁ、夜に行ったらいなくて、手持ちの封筒に10円玉入れて「電話ください」とドアの隙間から部屋に落とし入れたような記憶がある。 でももちろん電話は来なかった。
今日も猛烈な暑さで、「果たしてこの暑さが収まる日々が来るのだろうか」という感じだが、きっと11月10日の美樹の命日の頃には、新潟でも涼しくなっているだろう。
行っても墓参りできるわけではなく、元夫にも会えるわけでもないし、通っていた教会の人たちと会えるような立場でもない。
美樹と夫の住んでいたアパートは既に取り壊された。だから行っても無為に終わるだけなのだが、さてどうしようかなぁ。
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