さて。さて。
そんな、「飲んでみたい」「中に出して」「したくて、したくて、しょうがない」「後ろからして」っていうのが千駄ヶ谷時代の思い出深いトピックの言葉だな。
ほかにも色々なことがあったけど。 1年目が予備校時代、2年目は高田馬場に3月から7月まで(図書館で偶然会ってホテル行ったり、夜のおとめ山公園で逢い引きして、外でTシャツめくって乳繰り合ったり、ついには全裸にしたのはまた別の話し)、7月から羽根木で、ここから浮気や別の男とのセックスや妊娠騒動やスナックKENBOでの色々な話しがあって、翌年3月まで、そして3月からは五反田のセメダイン本社の管理室で、ここには10月くらいまで。その間に、美樹は慶應大学の通信教育課程に入学、五反田 遊楽街のキャバクラ「ブラックジャック」(移転したが今もある)で2カ月ほど働き、また真剣に別れ話をしたり、実際に3カ月くらいは別れていたり。 10月からは、千駄ヶ谷のアパートへ。 思い返せば、ここではもう当たり前のようにセックスしていた。
実現できなかったが、ヌード写真を撮らせてもらう話もあった。 2年目の高田馬場時代、4月の始め、桜が満開の新宿御苑でデートした。二人の写真を色々な人に撮ってもらった。見返すと俺の馬鹿顔に笑いたくなるが、美樹は幼くても可愛い。 美樹をマンションまで送っていき(晩ごはんどうしたんだろう?)、泊めてもらうことになったんだろうと思う。何しろ高田馬場の落合ホームズ(まだある)の7階の部屋で一人暮らし。寂しがりやだったので、「今晩泊まっていっ」くらい言われたんだろうと思う。俺に異論はない。家に電話するのが恥ずかしかったかな。
「じゃあ寝ようか」ということで、美樹はネグリジェに着替え、電灯を消す。真っ暗。 残っていたフィルムでネグリジェ姿や、ぬいぐるみを前に抱えてポーズをとった写真を撮る。 そして、付き合い始めてから4回目くらいのセックス。 ただ直情径行形の、ペニスを入れたい、射精したいだけのセックスだった。
終わって、ふとみると、まだフィルムが数枚残っている。 「美樹」と声をかけて「はい、こっち向いて」 「えぇ撮るのぉ?」 俺が一方的に攻める激しい性交でぐったりして髪も振り乱している。もちろん下着もない。全裸。布団も枕もどこかに行ってしまっている。でもそんなにいやがらない。不思議。 乳房と陰毛を手で隠してカメラを見つめる。パシャ。ピカッ。 もう一枚。 じゃ今度は、うつぶせになって。 小さなお尻と細い背中、背中から臀部まで、ウエストのくびれはまだできていない。少女なんだな。 体育座り。これなら全裸でも全て隠れるからいいでしょ?一応、陰部が写らないように角度に気をつける。本当は撮ってしまいたいけど、現像してくれなくなっちゃうから。
もうフィルムは最後のコマを使ったかな。
本当は恥ずかしいはずだけど、何も言わない。いや、覚えていないのか。 上半身を起こした美樹が髪を直している。無防備。もう残っていないはずだけど、もしかしたら・・・パシャ、ピカッ。
「エッ」美樹が驚く。 「へへっ、撮っちゃった」 「えーどうしよう」
「え、いいでしょ」 「えー・・・・」
後日、桜の花びらを髪に挿した写真とともに、乳房を露わにして、気を抜いていたためにちょっとファニーフェイスの写真も現像されてきた。
俺の大学が始まって、5月のこと。 美樹とのデート。この日はまた歌舞伎町のホテルに行ったのだと思う。いまにして思えば歌舞伎町なんて高いはずで、当時は2時間制で、もっと慣れた男なら新大久保や渋谷や、吉祥寺、下町勢なら鴬谷、なんてところに行くのだろうが、ほぼ童貞で、世間知らずの俺はそういうところに行こうとか研究しようとかいう考えがなかったのだ。
また、一人暮らしで宅浪で東大目指して勉強するはずだったのに、彼女の母親が転がり込んできたらしい。
この母親、この頃にはまだ会っておらず、後に五反田に引っ越したときに、「お母さんに会って」と言われて会ったのだが・・・ とても変わった人。背は小さくて145センチくらいだろうか。年は50くらいか。和服を着ていた。といっても高級品ではない。茶色かねずみ色か、そんな地味な和服。で、問題は顔。美醜とかそういうことではなく、まぁそういうことなんだが、生活に苦労した顔というか、育ちが悪そうというか、マンガで見るやり手ババァというか、なんと形容すればわかってもらえるのだろうか、という顔。 後にきくと同和地区の出身だといっていたと思うが、それは関係ないだろう。
その会ったとき、確か喫茶店に入って話しをしたはずだが、なんかどうも話しの成り行きというか、何を話しているのかちょっと理解できない。 多分、「お嬢さんとおつきあいしています」とか「おつきあいさせていただいています」というようなことを言ったはずだが、お母さんはなんか言っている。言っているんだけどよく分からない。 どうも、「一筆書け」と言っているようだ。は? 「(なんかよくわからないことをモゴモゴ言って)一筆書きなさい」・・・理解できない。おつきあいしている(と俺は思っている)のは確か(だと思う)だが、将来のことなどまだわからない。なのに一筆書けとは何を書けというのだろう。
後に、「この母親にしてこの娘あり」ということを痛感するのだが、それはまた後日。
大阪生まれの大阪育ち、結婚していて(あたり前だ)大阪に住んでいるはずの母親がなんで東京の娘のところに・・・
ちょっと前段があって、美樹の父親は当然大阪で働いていたのだが、東京に出てきた娘を追ってか、東京で働きだした。これも美樹から予備校時代に聞いて唖然とした。
最初は、大阪から新幹線に乗って美樹に弁当持ってきた、ということがあった。それはまぁ、そういうこともあるでしょう。
その後、美樹と二人で予備校からの帰り道、たまたまその日はあまり気が向かずに美樹と手をつながなかったのだが、その二人で帰るのを父親(松尾鐵雄、旧漢字なので鉄雄と書く)が後ろから見ていたそうだ。 翌日その話しを美樹から聞いて、背中がぞーっとしたのと、なんで東京にいるのだ、と思ったら東京で働いていると聞いてまた驚く。
どうも世の中には転々と職を変える人が一定程度いるらしい。美樹の父親、松尾鉄雄もそういう人らしい。一つの仕事を1年続くことがないような感じだった。この時は、住友銀行のロビーで働いているようなことを聞いた。ほら、よくいますね、銀行のロビーで、背広着て「いらっしゃいませ」なんて言っている人。
美樹の父親の話を聞いてから、銀行ロビーにいる人を「この人も仕事をすぐ変える人なのか」と思ったりする。
そんな夫の妻だからなのか、美樹の母親(松尾里子)も、東京に出てきて娘のマンションに転がり込んでくるのである。
そうすると、困るのはカレシの俺である。美樹のマンションでセックスができない。
デートするのは当然外になる。そして、また新宿でデート、歩いて行けるところで歌舞伎町のホテルになるのだが、5月のデートではちょっと悪巧みをしていた。 この間撮った美樹の上半身の裸体の写真を見るにつけ、「美樹のハダカの写真を撮りたい」との思いを実行しようとしたのである。
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