危険物取扱者試験(第五類)が終わってのんびりしている。答え合わせするには問題も回答もないし、合格不合格がわからないから勉強再開する気にならないし、他類の勉強始めるわけにもいかないし。
睡眠不足、生活の乱れが続いていた(いる)ので、何もなければゴロンと横になる。よく寝る。寝るだけでシアワセ。
ここ数日、いや1カ月くらいか、ずっと美樹に会いたいと思っている。常に美樹のことを考えている。今までだって、美樹と別れさせられたこの40年というもの、毎日のように美樹のことを考えていた。美樹のことがアタマから離れたことはない。
でもこの1カ月くらい、さらに美樹のことをいつも思っている。美樹の胸、大きなおっぱい。初めてセックスするときの、新宿の連れ込み宿「銀水」でブラジャーを外しておっぱいが露わになったとき、はにかみながら「結構あるでしょ・・・」と言ったときの美樹。
千駄ヶ谷の美樹の部屋でセックスしたときの美樹のおっぱい。紐のないブラジャー姿になったときの、格好いいと思った美樹の裸。 冗談半分で「パイズリしてみようか」なんていって、俺のペニスをはさんでくれた美樹のおっぱい。
もう、美樹が死んでから9年になるんだよなぁ。
でも美樹のことは忘れられない。
高校を中退して大検を取って、東京に出てきて予備校に入って、本当は東大に行くつもりだった美樹。 予備校で俺みたいな男と5月にデートして、その帰りに抱きしめられて、なんだかんだで何故かつきあうことになって、翌年3月までの予備校生活中、俺とつきあったり、他の男に声かけられて、別の男ににじりよっていったり、予備校卒業した後にも俺とのつきあいは続き、高田馬場のマンションに引っ越し、俺の家の近所に引っ越し、親が住込みで働いていた五反田のセメダイン本社に引っ越し、慶応大学の通信教育に入学し、千駄ヶ谷の木賃アパートに引っ越し、俺と別れて3カ月後に別の男と同棲初めて半年後の21歳で結婚して1年後に離婚して関東を転々として30歳で再婚して今度は千葉に転居、米沢に転居、新潟に転居して市内を転々として、結局は51歳で亡くなってしまうことになるとは、きっと本人も想定していなかっただろうと思う。
美樹が51歳で亡くなってしまうことになった遠因の一つは俺にもあると思う。俺と出会わなければ、つきあわなければ、最初の結婚相手とは出会わなかったと思うし、早く結婚したいという思いはあったにしても、別の男と知り合っていたのだろうと思う。 だとしたら、30歳での再婚相手にも出会わなかったのかもしれない。
40年前のネガフィルムを引っ張りだして、紙焼きにプリントしている。アルバムに入れて眺めている。19歳の美樹は幼くも見えるが、17歳に比べるとオトナにも見える。もうこの写真のときには俺とセックスするのは当たり前になっていて、この唇で俺のペニスを口に含み、精液を飲み干し、コンドームなしでセックスして中に出すのをせがんでいた。 この写真を撮ったときには、その前から「ねぇ、ヌード撮って」と言われていた。ただ俺に勇気がなかったので着衣で、だけどブラウスのボタンを三つはずさせたのだった。
もう一本フィルムをコンビニで買ってきて、裸の写真を撮ればよかった。いまになって、色々なポーズを思いつく。
別れてからも3年くらいは熱烈に思っていた。でもアルバイトなどがあって住まいのある高円寺にはなかなか行けなかった。 今思えば、どうせ暇だったのだから、もっと頻繁に美樹の元に行けばよかった。 行ったところで会うことは叶わない。でも、何回か時間を変えて訪ねていけば、後ろ姿くらいは眺めることができたかもしれない
これだけ美樹に執着するのは、実は「さよなら」をまだ言えていないからだと思う。 さよならを言う前に美樹は遠くに行ってしまった。
俺はさよならを言うために美樹に会いたいのかもしれない。
俺も美樹も、こんな人生を送るはずじゃなかったはずだ。そのお詫びも言いたいの。美樹は、俺と別れた後に自分の送ってきた人生に納得していたのだろうか。 それとも、俺のことを恨んでいたのだろうか。いまとなってはなんともしがたい。
本当なら、美樹の最初の旦那、二人目にして最後の旦那に会って聞いてみたいが、笑われて終わるような気もする。
そうだ、もう美樹はこの世にはいないんだ。墓がどこかもわからないし、わかったところで墓に話しかけても美樹はこたえてくれないのだ。
なんともやるせない。 |
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