松尾美樹の話しを書いておこう。 松尾美樹。
1965年2月11日生まれ 大阪府出身 2016年11月10日死亡 新潟市にて享年51
1986年?に小林義昌と結婚して、小林美樹。 1年足らずで離婚して、でもどうも同居は続けていたようで、高円寺、川口、野方、と転々として、独身に戻ってからは上北沢の公団住宅に、少なくとも父親とは同居していた。母親は知らん。
その、上北沢に住んでいたときに、石島利雄と結婚、石島美樹となる。 山形県米沢市、船橋市の北習志野に住む。
そこから、新潟県新潟市内に転居。 この頃には、生活保護をうけていたと思われる。
新潟市に転居後、市内を転々とする。 これは想像だけれども、住む先々で騒ぎを起こしていられなくなり、転居したと思われる。
最後に住んでいた、西区平島のアパートに住んだ時には「もうここが最後ですよ」というようなことを言われた、と通っていた教会の牧師婦人に聞いた。
お付き合いをしていたのは、1982年5月5日が初デートだけど、別に付き合っていたわけではなく、当時通っていた予備校、新宿セミナーでの鈴木雄希丘くんのアドバイスで、新宿の東口の歩行者天国で待ち合わせた。
付き合うつもりなどなかったのだが、それまで3年間、男子校暮らしだった俺には、目の前にいる17歳の少女はとてもまぶしかった。
しかし、いま思えばこの時から、「地雷女」の片鱗はあった。 新宿の高層ビルに上り、喫茶店でお茶を飲む。 お互いの話しをいろいろしてたわけだが、たしかこの時にもう「私って友達いないのよー」というような話しを聞いた気がする。
高校は大阪府立大手前高校という、大阪でも難関の府立高校の一つ。そこを中退して、高校2年に当たる年に大検を受けて合格し、高校3年のはずの春に東京に出てきて予備校に入学した、と。
当時はまだ大検はメジャーではなく、大検合格の高校3年相当では、大手予備校は入学させてくれなかったという。そのため、私の通うことになった新宿2丁目にある中小予備校に入ったのだという。
この項、続くかもしれないが、しかしどうせ 自分しか読まないし。どうしようかな。
千駄ヶ谷のアパートに住んでいた話しとか、羽根木の話しとか。
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