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...... 2024年04月15日 の日記 ......
■ 2024/4/15 松尾美樹論(1)   [ NO. 2024041501-1 ]
松尾美樹の話しを書いておこう。
松尾美樹。

1965年2月11日生まれ 大阪府出身
2016年11月10日死亡 新潟市にて享年51


1986年?に小林義昌と結婚して、小林美樹。
1年足らずで離婚して、でもどうも同居は続けていたようで、高円寺、川口、野方、と転々として、独身に戻ってからは上北沢の公団住宅に、少なくとも父親とは同居していた。母親は知らん。

その、上北沢に住んでいたときに、石島利雄と結婚、石島美樹となる。
山形県米沢市、船橋市の北習志野に住む。

そこから、新潟県新潟市内に転居。
この頃には、生活保護をうけていたと思われる。


新潟市に転居後、市内を転々とする。
これは想像だけれども、住む先々で騒ぎを起こしていられなくなり、転居したと思われる。

最後に住んでいた、西区平島のアパートに住んだ時には「もうここが最後ですよ」というようなことを言われた、と通っていた教会の牧師婦人に聞いた。



お付き合いをしていたのは、1982年5月5日が初デートだけど、別に付き合っていたわけではなく、当時通っていた予備校、新宿セミナーでの鈴木雄希丘くんのアドバイスで、新宿の東口の歩行者天国で待ち合わせた。

付き合うつもりなどなかったのだが、それまで3年間、男子校暮らしだった俺には、目の前にいる17歳の少女はとてもまぶしかった。

しかし、いま思えばこの時から、「地雷女」の片鱗はあった。
新宿の高層ビルに上り、喫茶店でお茶を飲む。
お互いの話しをいろいろしてたわけだが、たしかこの時にもう「私って友達いないのよー」というような話しを聞いた気がする。

高校は大阪府立大手前高校という、大阪でも難関の府立高校の一つ。そこを中退して、高校2年に当たる年に大検を受けて合格し、高校3年のはずの春に東京に出てきて予備校に入学した、と。

当時はまだ大検はメジャーではなく、大検合格の高校3年相当では、大手予備校は入学させてくれなかったという。そのため、私の通うことになった新宿2丁目にある中小予備校に入ったのだという。

この項、続くかもしれないが、しかしどうせ
自分しか読まないし。どうしようかな。

千駄ヶ谷のアパートに住んでいた話しとか、羽根木の話しとか。




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