自分だけの思いつき、など。

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...... 2025年01月28日 の日記 ......
■ 2025/1/28 もうすぐ松尾美樹の60歳の誕生日   [ NO. 2025012801-1 ]
毎年この時期になると、松尾美樹のことを思う。
1965年2月11日生まれ、大阪出身。

生きていれば今年還暦になるけど、2016年11月10日に天に召されていった。

交際していたのは、1982年5月5日から1985年5月16日のほぼ3年間。お互いに予備校通いを始めてまもない5月に、お互いにそんなつもりはなかったはずなのにつきあうことになり、翌春の大学受験では俺は変な大学に進むことになり、美樹は東大を目指していたはずなのに宅浪することになった。

大学1年と宅浪の二人は、そのままつきあいが続くかと思ったら、何故か美樹は俺の家の近くに引っ越してきた。

アルバイトを始めてちょっと会えなくなったら、「道でナンパされた男とつきあうから」と言われて別れ、と思ったらしばらく二股をかけられて再びつきあいだした。

ある日、井の頭線にのってどこかに出かけようとしたとき、美樹が東松原から乗ってきた。車内を歩いてきたけど、俺には気がつかなかったみたいだ。カレシなのに、と思って声をかけるとびっくりしたような顔をする。

話しかけて、笹塚のケンタッキーでなんか食べて帰ったが、今思うとあれば浮気相手と吉祥寺でデートだったのだろう。


今思えば大学生活についていけなかった俺は、美樹の住む羽根木のアパートに入り浸りになり、半同棲生活がいつのまにか始まった。美樹は受験生のはずなのに、勉強せず、二人で遊んでいた。または一日中家にいて、昼間から性行為に耽り、夜は近所の金髪の中年女性が働く小さな定食屋でご飯を食べる生活。

何故か、というか、ことわれなかったからか、学生自治会の執行委員なんてものをやるはめになり、成人式にも出なかった。

二人の生活のためと思ってガソリンスタンドでアルバイトを始めてみたが、しょっちゅう無断欠勤していた。何しろ美樹の部屋には電話がなかった。

美樹曰く「電話は贅沢品」。
寝坊しても連絡できず、いや、そもそも、朝8時からのガソリンスタンドのアルバイトでは起きられるはずがなかったのだ。
学芸大学というか、目黒通りの鷹番にあった、富士モータースという会社が運営していた出光のスタンドは今はなく、ワンルームマンションが建っている。

いつのことだったか覚えていないが、羽根木に住んでいたころ、「お見合いをするから」といわれて、五反田までついていったことがある。後ろをついていったはずなのに、ふと見失ってしまった。
その日の夕方か翌日かに、美樹に感想を聞いたはずだが、その場では結婚という結論は出なかったはず。ずいぶん若くて(当時美樹は18歳)お見合いするんだなぁとは思ったが、予備校のクラスメートの話しで17歳でお見合いの話しが持ち込まれた人のことを聞いていたから、そんなに違和感はなかった。


春になり、ある日美樹の部屋に行くと、引っ越すことを告げられる。相談してくれないんだ、教えてくれないんだ。

引っ越す日に美樹の部屋に行った。トラックに全て積み込まれ、美樹も乗って出ていった。原付で追いかけたが、すぐに見失い、どこに行ったのかわからなくなってしまった。


次の住まいは、すぐには教えてくれなかったな。1週間位してから電話があったと思う。
美樹の両親が、五反田にあった、セメダインという会社のビルの住み込みの管理人をしていて、次の住まいはそこだった。1984年3月のことだ。

親と一緒だったが、あまりいい生活ではなかったのかな。
1984年の2月、いくつかの大学を受験し、白百合女子大には合格したが慶応大学には落ち、美樹は大学入試をあきらめて慶応大学の通信教育課程に入った。アルファキュービックのスーツを着て入学式に出席した。

当時セメダインは東五反田の坂の上のビル一棟にあり、管理人室は地下にあった。どうやら、社員たちは管理人室の前を通って、通用口から帰るらしかった。



、何故か先輩に見込まれて

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