自分だけの思いつき、など。

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...... 2019年07月03日 の日記 ......
■ 2019/7/3   [ NO. 2019070301-1 ]
眠い。
やはりはやく寝ないと。
脳味噌がクールダウンするのに時間がかかるのか。

美樹のこと。

寝る前に住民票など見直すと、昭和61年3月3日に結婚して、同年11月くらいに離婚している。

その後、離婚したまま川口とか野方に行って、確か野方で前の旦那とは行動を別にしたはず。
なんでそんなこと知っているかというと、その日にクルマで見張っていて、郵便受け見たら美樹が残して行った封筒に部屋の鍵が入っているのを見ていたからだ。

その後、よく分からないが、阿佐ヶ谷を転々として、下高井戸にいたときに次の旦那の石島氏と再婚。
この時にはまだ親と同居していて、先に彼女が北習志野に引っ越して、しばらくは彼女が世帯主だった。
そのあと、旦那が越してきて、それで世帯主が旦那に代わった。

調べ直してみると、最初の結婚のときにもどうも彼女が世帯主になっているようなので、同じことをしていたようだ。

その後、石島氏とは米沢に行き、そこから今度は新潟へ。新潟の青山のなんかに住んでいて、それからまた転々と。
私が知っているのは西区平島2-4-14コーポなんとかには長く住んでいた。
何回か行ったが、当然ながら会えるはずもなく。
最後に行ったのはいつのことだったか。
この、最後のときには我慢できずにチャイムを鳴らした。

室内で人が動く気配があり、その後扉が開いて出てきたはずだが、そのときにはもうどうなっていたのか覚えていない。

亡くなったというのは、平成28年11月10日だという。
母の具合が悪くなってきたころだ。

そして、石島旦那は、平成29年1月に今の新潟市西区に転居したという。
疑問なのは、奥さん亡くなってなぜすぐと言っていいくらいに転居したのだろうか。

美樹とともに暮らした部屋にいたくなかったのだろうか。
それとも、部屋が悲惨な状況で住めなかったのだろうか。

結婚したときには、新戸籍を作っていたはずだが、調査会社の調べでは、桐生市梅田町467番地2に戻っているらしい。これって結婚する前の戸籍の場所だよなァ。
親と仲直りしたのか、それとも美樹を妻として認められたのか。
いやいや、アルコール依存症から復活したとはいえ、統合失調症をわずらっていた女を簡単に妻として家には入れないと思うんだが。

ま、そんなこと言っても、もう彼女は泉下の人。
今となっては何を言っても、きっとももうむなしいだけ。

一度、もう一度会って話しがしたかった。数々の非道を詫びたかった。


別れて10ヶ月で結婚していたんだな。
ということは、その間、どうしていたんだろう。
二十歳で出会った人ともう結婚前提でいたんだから、そして俺と付き合っていたときには、今思えば二人とも結構エッチであれこれしていたんだから、小林君ともアレコレしていたよなぁ。

続きはまたあとで。

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